伊東四朗は現在は健康に気を使う生活を送っている!これまでのエピソードを一挙大公開!

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今回は、2021年に84歳の年男でありながら、まだまだ現役で活躍する伊東四朗さんの最近の生活ぶりとこれまでの長い芸能生活のエピソードについて、たっぷり見ていきたいと思います。

テレビ朝日

近年のドラマとして、伊東四朗さんは「黒革の手帖」の中で長谷川庄治という大物総会屋の役を演じていました。
今までの長谷川庄治の役を演じた多くの俳優陣の中で、伊東四朗さんが演じた長谷川庄治は、他の役者さんの違いとして、やはり元コメディアンとしての少し丸みがあったような気がします。

【画像:テレ朝POST

今での他の役者さんが演じていた長谷川庄治役は、いかにも巨悪を象徴しているような演技でした。

【画像:テレビ朝日黒革の手帖

それに反し今回は、そこまではなくどこか大店の隠居のお爺さん風の雰囲気を醸しつつ実は巨悪だと言ったようなギャップをもった役を醸し出していたような気がします。

そんな伊東四朗さんですが、近年の様子についてみていきたいと思います。

Contents

①伊東四朗は現在どのような生活を送っているの?

2021年6月15日に84歳の誕生日を迎えられる伊東四朗さんは、最近はどのような生活を送っているのでしょう。

伊東四朗さんの近況について調べてみました。

(1)杉並区に在住

伊東四朗さんは現在杉並区の永福町あたりに住んでいると言われています。

【画像:2015芸能人の噂整形熱愛劣化画像ブログ

ご本人が公表するはずはないのですが、この写真が伊東四朗さんの自宅だと言われています。

永福町あたりで目撃情報はあるようなので、かなり確かな情報のようです。

ちなみに、この永福町がどのような場所なのか気になって調べてみました。
しらべると、「永福」という地名は、この地にある曹洞宗の寺「永福寺」に由来だそうで、その近所には、東京のパワースポットとして有名な「大宮八幡宮」もあるそうです。
そして、多くの文化人や芸能人が居を構えている一帯だそうです。

(2)孫を可愛がるなど家族との関係も良好

次に、伊東四朗さんの家族について少し紹介です。

伊東四朗さんは4人孫がいるようです。

「以前は孫を家に呼んで、一緒にご飯を食べていたんですけど、去年からは(コロナ禍で)できない。
正月に久しぶりに会ったんですけど、玄関先で『おめでとう』って言って、帰っていきましたけどね。
いつの間にか孫があたしの身長を追い抜いていたっていうのが、これがうれしいショックでしたねぇ。13歳、中1の孫なんですがね。

しょっちゅう会えば、少しずつ成長していくのを見て楽しいはずですが、コロナ禍っていうのは、やっぱり不幸ですよ。
外に出られないのは苦じゃないけれど、孫と会えないっていうのはね。本当に『コロナめ!』と思っていますよ」

引用:女性自身

伊東四朗さんは妻・冷子さんとの間に息子さんも3人いますが、ご自身でおしめを変えたり、お風呂に入れたりするなど子煩悩、孫煩悩だそうです。

(3)現在もテレビ・ラジオ番組や舞台で活躍

伊東四朗さんは2021年6月15日の誕生日で84歳になりますが、現在もテレビ出演したり、ラジオ番組に出たり、舞台で活躍しています。

「今回、伊東は3年ぶりの新作舞台に挑むのだ。

「70代は全然、衰えがなかったもので、楽観していましたが、80代に入って、あちこち衰えてきたのがわかってきたんで。
1つ芝居をやるって、こんなに大変なんだって、今回、初めて感じていますよ」

セリフを完全に覚えて稽古に入るのが、伊東の信条だったが、少し弱気になっていた。

「今回は台本を見るんじゃないかな。また、セリフが多くて……。
いや、本来だったら、普通の量なんでしょうけど、多くに思えちゃってるってことですね、いまは。すごくピリッとしてますよ、自分で。ここまでの緊張感は、初めてです」

引用:女性自身

少しだけセリフ覚えに自信がなくなってきているようですが、まだまだ舞台に立つなど、元気な様子です。

②伊東四朗は健康のためにいろいろな対策を行っていた

まだまだ現役で芸能活動をしている伊東四朗さんですが、それにはご自身でも健康について対策をしているようです。

【画像:朝日新聞デジタル

伊東四朗さんの健康の秘訣について見ていきましょう。

(1)体を動かすことを欠かさない

伊東四朗さんは健康のために毎日体を動かして、鍛えています。

いくつか運動をしているようなので、見ていきましょう。

(1-1)夫婦で仲良くウォーキング

伊東四朗さんは奥さんと仲良くウォーキングしているそうです。

「ほぼ毎日、近所の神社まで6kmを1時間ほどかけて歩く。

引用:週刊現代

80歳を過ぎて毎日1時間歩くっていうのは、足腰もとても元気でいらっしゃいます。

しかも時速6kmで歩けるのはかなり早足ですね。

(1-2)気が向いた時には筋トレも行っている

1時間のウォーキングを日課にしている伊東四朗さんですが、筋トレもして、体力維持に努めています。

「両足それぞれに1.5kgの重りをつけて、家の周りを歩いたり、腹筋や腕立てもしてるけど、無理をすると嫌になるので、気が向いたときだけやるようにしています」

引用:週刊現代

ウェイトをつけて歩いたり、腹筋や腕立てをする84歳。さすがにとてもタフでパワフルです。

(1-3)20年間続けてきたテニスを辞めた

伊東四朗さんは奥様とテニスを趣味にしていました。

「テニスを始めたのは55歳のころ、女房に誘われてハマりました。多いときは週3回、一日8時間くらいやる日もありました。あまりに長いので仲間から『いつまでやるんだ、バカヤロー』なんてはやし立てられたりしてね。

でもテニスは走ったり、止まったり、跳ねたり激しい運動でしょう。だからもともと痛めていた左ひざが悪くなってしまった。それで女房とともにやめることにしました。

引用:週刊現代

さすがに80歳を過ぎて、テニスはケガにもつながりますし、現在はテニスを辞めて、その分奥様とウォーキングするようにしたそうです。

(2)食事にも気を配っていた

適度な運動を毎日している伊東四朗さんですが、運動と同時に食事にもとても気を使われています。

(2-1)食べる量は腹八分目

伊東四朗さんは食事の量について、減っているようですが、無理をして減らしているわけではなさそうです。

「食事も以前はご飯を3杯食べたが、「今は1杯。好き嫌いなく、かみさんが作ってくれたのを食べるだけ。納豆は毎日食べています」

引用:日刊スポーツ

発酵食品は体にいいと言いますから、食事に気遣っているようです。

「伊東さんも食べる量は減ったが、週に1度は肉も食べるし、楽屋に用意してあるパンやお菓子もよく食べるという。

引用:週刊現代

無理に食事制限するというのではなく、暴飲暴食を避けて、好きなものを少しだけ食べるという方がストレスにもならなくて健康的なのかもしれません。

(2-2)お酒は休肝日を設けて自分の量だけ楽しむ

伊東四朗さんはお酒は飲むようです。

「お酒も適度に飲むし、これといって意識せず、好きなものを好きなように食べています」(伊東さん)

引用:週刊現代

お酒も適量は体にいいと言いますからね。

無理して節制しすぎないのがいいのでしょう。

(2-3)サプリを飲まなくなった

伊東四朗さんは75歳くらいまではサプリメントもよく飲んでいたようですが、今はサプリメントを飲むのをやめているようです。

「5~6年前までは健康に気を使ってサプリメントを飲んでいました。
でも全部やめました。飲まなくても特に体調に変化がなかったんです。飲みきれなかったビンがいまも自宅にたくさん残っています。
タフマン?タフマンはいまでも飲んでいますよ(笑)。

引用:週刊現代

タフマンは別格のようでした(笑)

③伊東四朗の現在に至るまでさまざまなエピソードがあった

健康に気遣い、運動をしたり、食事に気をつけて生活している伊東四朗さんですが、これまでにさまざまなエピソードがあるようです。

伊東 四朗さんのプロフィール

【画像:Drama&Movie

伊東四朗さんのプロフィールを見てみましょう。

「名前:伊東 四朗(いとう しろう)

本名:伊藤 輝男(いとう てるお)

別名義 ベンジャミン伊東

生年月日:1937年6月15日

出身校:東京都立市ヶ谷商業高等学校卒業

出生地:東京府東京市下谷区竹町(現:東京都台東区)

血液型:O型

職業:俳優・タレント・司会者・コメディアン・日本喜劇人協会相談役

活動期間:1958年~

所属事務所:オルテ企画(「オルテ」は、本名「てるお」の逆読み)。

引用:JackComic

五人兄弟(兄2人、姉1人、妹1人)の三男兄は教育評論家の伊藤竹三・次男は俳優・タレントの伊東孝明

配偶者:既婚
主な作品:

バラエティ番組ーなど

『笑って笑って60分』『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』『ザ・チャンス!』『伊東家の食卓』『脳内エステ IQサプリ』

テレビドラマ

『遠山の金さん』『ムー一族』『同心暁蘭之介』『おしん』『銭形平次『ダブル・キッチン』『十津川警部シリーズ』『北条時宗』『おかしな刑事』シリーズ『笑ゥせぇるすまん』『私の青空』

CM:白子のり

引用:Wikipedia

バラエティからドラマ、CMまでまさにマルチタレントです。

【画像:ヤクルト

伊東四朗さんの生い立ちを見ていきましょう。

伊東四朗さんは、5人兄弟の上から4番目だったそうです。
父親の職業は、洋服の仕立て職人だったそうです。
そんな伊東さんですが、将来の役者になる下地となったのは恐らくお兄さんの影響だと思います。

【画像:思い出の芸能人

伊東四朗さんの子供時代の画像です。

面影がありますが、まじめそうな感じです。

【画像:Feel55伊東四朗さんの子供時代

写真は古いものですが、しっかりしている表情です。

(1)車輪の一部が左頬を貫通する大ケガを負っていた

伊東四朗さんの頬によく見ると傷の跡があるように見えますが、子供の頃に大ケガをしてしまったようです。

「小学3年生のとき、トロッコ事故で頬に目立つ傷ができてしまい、その傷のせいで高校卒業後、就職の面接に落ち続けてしまった。仕方なくアルバイトして、暇な時間には好きな舞台を観に出かけていた。

たまたま俳優の石井均に誘われて劇団に入ることになり、演技に目覚めたという。傷は今でも残っているが、伊東は「それがなければここ(芸能界)にいない」と振り返っていた。

引用:SmartFlash

このケガが人生を変えるきっかけになったのですから、人生どう転ぶかわかりません。

(2)高校卒業後は就職するのに一苦労

上にもありますが、伊東四朗さんは就職希望だったようですが、就職ではなかなかうまくいかなかったようです。

「高校卒業後は就職希望だったが、強面が災いしたのか、就職試験は全滅だった。

「筆記は通るんです。でも、面接で落とされる。完全コネのはずの会社まで落っこちた。よっぽど面接向きの顔じゃないのかなぁ」

就職を諦めた伊東は、早稲田の学生だった次兄のコネで、大学生協でアルバイトを始めた。牛乳瓶の蓋を開ける仕事をしながら観劇ざんまいの日々を過ごす。浅草や新宿のストリップ劇場や歌舞伎にも通いつめた。

戦後、軽演劇の小屋がなくなって、コメディアンは、ストリップ劇場のショーの合間で、芝居やコントを見せていた。由利徹、谷幹一、長門勇、渥美清など、錚々たるメンバーが出ていたという。

引用:女性自身

牛乳瓶の蓋を開けるアルバイトって、すごく時代を感じます。

ストリップ劇場に通いつめるというのは、顔を覚えられるほどだったそうです。

(3)石井一座との出会いが運命を大きく変えた

就職に失敗し、ストリップ劇場に通いつめていた伊東四朗さんですが、このとき運命を変えることになります。

「あるとき、劇場の窓ガラスがガラリと開いて、声をかけられた。

「よう、寄っていけ!」

喜劇役者・石井均(97年没)だ。58年、軽演劇一座「笑う仲間」を旗揚げした石井は、伊東を一座に誘った。時を同じくして、生協からも「正社員にならないか」といううれしい打診があったが、ついついフラッと芝居の世界へ。

両親は賛成も反対も何もしなかった。

「親父はこっちも見ずに『ふうん』って、それで終わり。でも、この『ふうん』は重かった。いろんなものが詰まっていて」

こうして長い役者人生がスタートする。伊東、21歳のときだった。

引用:女性自身

なにが運命を変えるかわかりませんね。

こんな軽いスタートからのちの伊東四朗さんの活躍が始まります。

(4)てんぷくトリオで人気を博す

その後、三波伸介と戸塚睦夫のトリオで1960年から1970年まで、お笑いトリオ「てんぷくトリオ」で活躍しました。

【画像:あなたの笑顔が見たいからてんぷくトリオ

てんぷくトリオと、言えば三波伸介の、泥棒のスタイルのコントが有名です。

【画像:Twitter三波伸介の、泥棒のスタイル

口の周りを黒く塗って、頬かむりをしており、泥棒の定番である唐草模様の風呂敷を背負っているスタイルです!

今の人は知らないかもしれませんが、私が幼い頃はよくテレビで見ました。

(5)デンセンマンとして大活躍

一方伊東四朗さんは「電線音頭」が有名でした。

【画像:ガールズちゃんねる

バラエティ番組のなかで、伊東四朗(ベンジャミン伊東)と小松政夫(与太八左衛門)と怪しいコスチュームのデンセンマンが電線音頭を踊るのですが、学校でも流行っていました。

【画像:タカのDSB伊東四朗さんは「電線音頭」

これまた今の伊東四朗さんからは想像付かない役柄です。

「♪電線にっ、雀が?3羽止まってた♪」

番組は、「みごろ食べごろ笑いごろ!」でした。(1976年?1978年)伊東四朗というと完全に面白いコメディアンという印象で役者等イメージではなかったですね。

この頃、ドリフターズなどお笑いコメディアン全盛時代でした。

(6)『おしん』への出演以降に俳優として活躍の幅を広げる

そんな、伊東四朗さんが今のような俳優らしくなったのは、これまた伝説のドラマ1983年の連続テレビ小説「おしん」に出演するようになってから、伊東四朗は俳優としての評価は、鰻登りになりました。

(6-1)『おしん』

いままで、見てきたように伊東四朗さんはコメディアンとして活躍をしてきましたが、本格的にシリアスな役も演じる本格的な役者として脱皮したキッカケになったドラマは、やはり「おしん」を外すことはできません。

【画像:Feel55

「おしん」は、今はないスーパー「ヤオハン」の創業者をモデルにした作品で、世界中で再放送されまくったオバケドラマでした。

【死因:老衰】和田一夫(元ヤオハン代表)が死去 学歴や経歴と流通グループの現在は?

ヤオハンはまだグローバルではない時代にアジアを中心に海外展開していたスーパーでした。

【画像:田舎に暮らそう

その「おしん」のなかで、伊東四朗さんの役は、主人公おしんのお父さん役で、貧しい百姓で、家系のため仕方なく、娘を丁稚奉公に出す父親の役でした。

【画像:温泉人ライフおしん

おしんを奉公に出すとき、つらさをがまんして耐えしのぐ父親役を熱演していた事が印象的でした。

その後は、伊丹十三監督映画「マルサの女」で、伊東四朗は、パチンコ店の社長で脱税をしていてマルサに査察が入り最後は、泣きわめいていて、査察官が、帰って行った後けろりとして、”泣きわめいて税金払わないならいくらでも泣いてやる”と、啖呵を切ったくせ者社長役をやっていました。

こうして見てくると、コメディアン出身の役者で、実力派の俳優は多くいますね。

いかりや長介・志村けん・谷啓・植木等・etcいずれも実力派の俳優ですね。

(6-2)『十津川警部シリーズ』

そんな伊東四朗さん親子ですが、同じ芸能界という世界に籍を置いているあれだけたくさんのドラマなどに出演していれば親子共演もあるのではないかと思い、調べてみました。

伊東四朗さんレギュラーの、テレビドラマ「十津川警部シリーズ」の2010年放送の「十津川警部シリーズ43」『伊勢志摩殺人迷路〜円空の謎〜』鈴木明役、2013年放送の「十津川警部シリーズ50」『消えたタンカー』小島史郎役息子の伊東孝明さんとで共演しています

【画像:BS-TBS十津川警部シリーズ43

同作のプロデューサーによると、伊東四朗さんは「(息子伊東孝明とは)何度も共演している」と言いながら、凄く嬉しそうだったと言ったそうです。

(6-3)『警視庁捜査一課9係』

テレビ朝日のドラマ「警視庁捜査一課9係」では鑑識員の猪狩哲治 (いかり・てつじ)役で出演しています。

【画像:テレビ朝日

伊東四朗さんが演じる猪狩哲治については、

「警視庁鑑識員。
志保が所轄署勤務のころ、同じ所轄で鑑識員として勤務。すでに定年退職していたが、鑑識の腕を買われて復職、現役として活動している。
口数の少ない職人肌の仕事人だが、懐の深い頼り甲斐のあるベテラン。彼の心ある一言が事件解決のヒントになることも。

引用:テレビ朝日

十津川警部シリーズといい、「警視庁捜査一課9係」といい、伊東四朗さんはサスペンス、刑事ドラマには欠かせない存在になっています。

(7)バラエティ番組でも八面六臂の活躍を見せる

もともとは喜劇役者さんだった伊東四朗さんも最近では俳優としての活動が多くなっているように思います。

しかし、少し前まではバラエティ番組のMCとしても活躍していました。

(7-1)『伊東家の食卓』

1998年から2007年まで日本テレビ系列で放送されていた「伊東家の食卓」は、視聴者から寄せられた生活上の「お役立ち情報」を紹介する番組でした。

【画像:ミドルエッジ

伊東四朗さん、五月みどりさん、V6の三宅健さんらが伊東家として出演していました。

(7-2)『脳内エステ IQサプリ』

フジテレビ系列では、2004年4月から2009年3月まで放送された「脳内エステ IQサプリ」というクイズバラエティ番組に今田耕司さんや小島奈津子さん、中野美奈子さん、加藤綾子さんといった女子アナ陣と司会を務めていました。

【画像:ガールズちゃんねる

問題にモヤッとしたとき「モヤッとホール」に投げこむ「モヤッと」ボールというのがこの番組での特徴でした。

(7-3)『芸能人格付けチェック』

1999年3月から2001年9月まで放送されていた「芸能人格付けチェック」は浜田雅功さんと伊東四朗さんが司会者で、芸能人たちが「高級品」と「安物」、「一流品」と「そうでないもの」を見分ける問題に挑戦し、正解数に応じて番組内独自のランク付けを行う番組でした。

【画像:朝日放送

あまりに不正解が多い芸能人は「映す価値無し」として、番組中に透明人間になってしまうというのが斬新でした。

(8)78歳の頃に運転免許を自主返納

伊東四朗さんは健康にはとても努めていますが、一方で車の運転はもうしていないそうです。

「車の運転もやめた。2年前に79歳で、免許を返納し、現在はもっぱら電車移動だ。

「具体的になにかあったわけではありません。ただ、75歳を超えたら免許更新のときに高齢者講習やら認知機能検査やらあるでしょ。

日時がわかっているか確認するために時計を持ってこないように言われたり、動物の写真を見せられて覚えているかどうか確認させられたり、面倒だし、正直なところ『ちょっとこれはないだろう』と思ったんです。それで警察に行って返納してきました。

いまでも運転はできるとは思うんです。でもやっぱり目も悪くなったし、耳も遠くなったので不安はある。

最近も87歳の方が事故を起こしていましたが、車を運転していたら、なにかのはずみで自分も加害者になるかもしれない。免許を返してからはそうした不安はなくなりましたね」

引用:女性自身

伊東四朗さんは合理的に考えられる方のようですね。運転しなくなってから、余計な不安もなくなったようですし、ウォーキングもしていますから、健康面を考えると返納してよかったのだと思います。

④伊東四朗の病気や死亡説などの話題がいくつも浮上

これまで見てきたように伊東四朗さんは、運動や食事にも気を遣って、とても健康ですが、病気や死亡してしまったと誤解される話題もあるようです。

(1)元プロ野球選手の伊藤四郎が死亡した際に間違えられた

伊東四朗さんが死亡説が出てしまったのは漢字は違いますが、同姓同名の元プロ野球選手と間違えられてしまったようです。

「元プロ野球選手で南海のスカウトも務めた伊藤四郎氏(いとう・しろう)が5月30日午後4時12分、大動脈りゅう破裂のため旅行先で死去した。78歳だった。三重県出身。

三重・四日市商高から51年に捕手として名古屋(現中日)入団。投手に転向し、近鉄(現オリックス)、南海(現ソフトバンク)などでプレー。61年に引退後は南海でスカウトを務めた。

引用:スポニチアネックス

こちらの写真がその伊藤四郎選手の写真です。

【画像:鬼ニュース速報

本人の元プロ野球選手とそのご遺族にとっても失礼ですが、この手のニュースがあっという間に誤って伝わってしまうというのは怖いことです。

(2)骨折の噂は佐野史郎が番組のロケ中に骨折した際に広まった

同じような誤った情報で、伊東四朗さんが番組中に骨折してしまったという噂もあります。

【画像:ameblo.jp:たの(^o^)さんのブログ|ガキの使いの収録で佐野史郎さんが腰椎骨折の怪我。

「日本テレビは7日、茨城県で6日に行った番組ロケ中に、俳優の佐野史郎さんが腰の骨を折るけがをしたと発表した。全治2カ月で手術の必要はないという。

引用:朝日新聞デジタル

こちらも「四朗」と「史郎」から起きた誤解のようですが、伊東四朗さんのことをそれだけ心配しているファンが多いということでしょうか。

⑤世間の声

芸能活動60年を超える伊東四朗さんに対して世間ではどんな声があるでしょうか。

古くを知るファンからは、てんぷくトリオですでに2人が亡くなられてしまったので、伊東四朗さんにはいつまでの元気でという気持ちがたくさんあります。

昭和世代にとっては、伊東四朗さんイコールベンジャミン伊東の存在感がすごいようです。

80歳を過ぎても始球式で投げられるくらい元気な伊東四朗さん。

怪我などに気をつけながらいつまでも元気な姿をみたいところです。

⑥最後に

伊東四朗さんの現在の様子と過去の活躍を見てきました。

2021年に84歳の年男の伊東四朗さんですが、まったく年齢を感じさせません。

芸能の世界に運命的に入ったところから、喜劇、バラエティ、MC、そして俳優と活動の幅を広げてきたことがわかりました。

健康に気をつけているのはもちろんですが、無理をしないことが大事なのかもしれません。

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